2024年9月ログ

 人と遊ぶ機会が多い珍しい月でした。付き合ってくれた各位には感謝です。

書籍

市川憂人「ジェリーフィッシュは凍らない」

 2016年、東京創元社。読書会の課題だったのでモクモク読んだ。

www.tsogen.co.jp SFミステリーシリーズの第一作で、ifの歴史の科学技術を描きつつどっしりミステリな世界観が良い。トリックも良質でラストまで見破れず、判明したときのやられたという爽快感を味わえた。ミステリは作者に裏をかかれる感覚が堪らないですね。
 息詰まるクローズド・サークルでの犯行の合間にマリアと漣の軽妙な掛け合いが挟まれるので苦痛なくサクサク読める。犯人も結末以外好きなタイプだった。犯行は運に恵まれただけとか言いつつ最後用意周到すぎでしょ。

斎藤潤一郎「武蔵野 ロストハイウェイ」

 2024年、リイド社。今一番アツい漫画です(ろくろを回す)。

to-ti.in「武蔵野」(2022)の続編にはなるが、映画「ロスト・ハイウェイ」(1997)を参照点として据え直し、よりエッジーかつ不条理な物語に様変わりしている。
 冒頭の「桶川」で前作の語り手の(斎藤がモデルらしき)男性の消失により、凡庸な画家であり凡庸なヒットマン(?)でもある女性へと語り手が交代するが、彼女もまた斎藤がモデルの別人格であるようにも読める。超常的なこともそうでないこともひっくるめておよそ道理というものを読み取れない本シリーズのプロットの中で、「八潮」や「和泉多摩川」、「八千代」に描かれているような、悪意も無く淡々とした突発的暴力だけが、荒廃した風景の中でただ一貫している。人と人も、人と土地も相容れることのないぎこちない世界で、このピカレスクな語り手はハードボイルドを実践するでもなくただただ意味も無く闊歩し続けるだけなのである。
 人気のあるエピソードのようだが、個人的にも「新宿」が一番好きかも知れない。読後感がいい。都心の夜明けって、人が増え始めるにも関わらず何故ああも寂寥感があるんでしょうね。

ゲーム

「違う冬のぼくら」

 2023年、講談社(Pub.)/ところにょり(Dev.)。友人とプレイ。

youtu.be開発者は「ひとりぼっち惑星」(2016)で知られる。*1非対称SNSを手掛けた開発者から非対称ADVの名作が誕生したという趣き。
 プレイ感としてはTRPGの2人用シナリオに近しいものがあり、見えている世界が異なっているという主題をシナリオ・グラフィック・BGM等複数の側面から切り出しつつ、協力型パズルゲームとしての完成度も高い。
 背景世界の真実については多くを語るべくもない(注釈にネタバレを付す)*2が、一つ言うとすれば、本作は設計思想の点において「ひとりぼっち惑星」から一貫していると思う。つまり、世界は果てしなく錯誤とディスコミュニケーションに満ちているが、時たま電波が通じることがあり、あるいはそれ(だけ)が希望なのかも知れないと。

「すみれの空」

 2021年、GameTomo(Pub./Dev.)。語り手の少女すみれが不思議なお花さんに誘われ、かつての親友、淡い恋の相手、バラバラになった家族、そして亡くした祖母といった人々をめぐり“最高の一日”を織り上げていくADV。

youtu.beとにかく世界観と、それに見合うグラフィックやミュージックが秀逸。進行度によって変化していく空の色合いはどれも美しく、森や町の風景と合わさり郷愁を誘う。主題はふわっとしているものの、夢に対する現実の暗部、選択することで失ってしまうものが話の軸になっており、幼少期の切なさと残酷さへの感覚を強く思い起こさせる。

「すみれの空」スクリーンショット。白髪紫目で紫色の服を着て頭にすみれの花を付けた少女すみれが、バスの中で日が暮れかけた空をぼーっと眺めています。挿入されているミニゲームはどれも結構出来が良く、特にカードゲームはクリア後にひたすらカードで遊ぶモードが追加されるのでじっくり楽しめる。本編後の登場人物たちの掛け合いも見られるので嬉しい。

映画

「フットライト・パレード」

 1933年、ロイド・ベーコン&バズビー・バークレー監督。秋はプレ・コード映画だ!ということで古い映画好きの友人と鑑賞。

youtu.be プロットはシンプルで、前半のストーリー部分では映画上映前のプロローグの演出を任された主人公のケントを中心に、上手くいかない制作に悪戦苦闘したりメンバーが恋愛したりでコメディチックなドタバタ劇が繰り広げられる。ほとんどがスタジオ内の出来事として描かれているので、ストーリー部分の終盤に嫌気がさして飛び出したケントが街中でヒントを見つけるシーンが転機になるのは見通しが良かった。
 後半はケントが手がけた3つのプロローグが劇中劇として展開される。この部分はとにかく映像美が素晴らしい。特にHuman Waterfallのシーンはこの時代ならではの派手さで度肝を抜かれた。浅識にして「上海リル」も今回初めて聴いた。良曲。前半で笑って、後半で感嘆に浸れる、時代特有のロマンに満ちた一作であった。プレ・コード映画にしては特に過激な表現も無かったね。
 それはそれとして、やっぱり「By a Waterfall」が舞台上の演出って設定は無理ないか?

「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」(ネタバレ有り)

 2023年、古賀豪監督/吉野弘幸脚本。アマプラで友人と鑑賞。

youtu.be
村ホラーものではあるのだが、水木のフラッシュバックを軸に戦前と戦後が一続きである前提で未来が語られる描写や、東京に行っても私の境遇は結局何も変わらないという沙代の発言は、哭倉村で行われていたことを過去の田舎の出来事と切り捨てて片付ける道を塞いでいる。*3冒頭の記者も下世話なパパラッチかと思いきや、あったことをありのままに伝えると最後に宣言して作品を締める重要どころで、歴史修正主義が恐ろしくカジュアル化した時代に釘を刺している。
 ゲゲ郎はビジュアルが良く、物語の原動力である水木とのパートナーシップも魅力的だった。終盤で彼が水木を相棒と呼ぶシーンはアツい。ねずみも本作では単なるコメディリリーフかと思いきや、ところどころで二人をサポートしつつ、最後は哭倉村の所業にビビって人間界を去る描写で”一番怖いのは人間“を身をもって示すなど活躍どころが多い。あと長田は初見でこいつ裏切りそうだな思った。案の定。

マルチメディアコンテンツ

アイドルマスター シンデレラガールズ

青空と、それを反射するライブ会場Kアリーナの壁面。下の方にアイドルたちが描かれた装飾があります。
STARLIGHT FANTASY観てきました。アイマスはほぼ引退状態なのもあり、担当の初ライブを見届ける同行者のオタクくんを見届けるような心持ち。
 個人的にはHungry Bambiでの安齋さんの「わたくしの初めて、晒します!」 は痺れた。はまり役の声優さんに演じてもらえたなあ、と。
 あと着席指定席は本当に快適でしたね。高層階なのと持ってきた双眼鏡壊れてたのでステージよく見えなかったけど。

アイプリ

 友人の手ほどきをうけてアイプリバースデビューしました。

アイプリバースにおけるマイキャラの画像。金色の髪に、白地にピンクのラインのスカートワンピース、小麦色の肌に丸い目と茶色の瞳という出で立ちの少女が、右目でウィンクしつつこちらを振り向いて、右手でピースして顔の前にかざしています。マイキャラはクラリスという名前で、レイ・ブラッドベリ華氏451度」(1953)から来ています。3DSの「マイ☆デコレインボーウエディング」(2013)からの付き合いです。7年ぶりの再会になりました。*4

ホロライブ

 魔法少女ホロウィッチ!展を見てきました。

魔法少女ホロウィッチ!展会場風景。奥に6人のパネルがあり、下の方にholoWitches full cast!と書かれています。手前にはシルエットとセリフが書かれた巨大なタペストリーが6枚あり、左からピンクの姫森ルーナさん「ルーナもやるのら〜」、桜色のさくらみこさん「しょうがないにぇ」、水色の天音かなたさん「飛び込んでくしかねぇだろ!」、赤色の宝鐘マリンさん「いいお宝ね!」、えんじ色の沙花叉クロヱさん「乗り切っていきましょう。」、紫色の紫咲シオンさん「ふーん、読めた!」となっています。ふらっと来ただけなので何も知らず。天音かなたさんビジュアルはめちゃくちゃ好みなんですが……。

Hololive Connect POP UP SHOP会場風景。壁面にはサイバーパンク風の都市と0期生のイラスト、部屋内にはドット絵のときのそら、ロボ子さん、さくらみこの巨大タペストリーが吊り下げられています。

Hololive Connect POP UP SHOPも見てきました。ふらっと以下略。

*1:もうiOSでしかSNSとしては機能しないが、同サービスは今でも最良のSNSの一つだと個人的に思っている。

*2:「登場人物たちは自分を人間だと思い込んでいる機械かも知れない」という示唆は、「おわかれのほし」等の過去作でも用いられたモチーフであり、「ひとりぼっち惑星」におけるプレイヤーの立ち位置と重なるところもある。私は何者なのかという認識の基本的なところにまで世界への錯誤は食い込んでいるわけである。

*3:本作が示唆するようにこの国の性差別の構造は地方と東京が協働で維持しているものであり、地方で行われているものだけが性差別であるというSNS上で支持されがちな差別の矮小化にも注意が促されている。

*4:ここではまとまらないことどもをつらつらと述べる。私がクラリスに感じるのは、ブラッドベリの小説と3DSのゲームでの経験が入り混じった"親しいもの"ー私は親密性に関するこの言い回しを酒井駒子の絵本「BとIとRとD」から取っているーという感覚であり、おそらくここで主として意識されているのは他者性である。ところで、「きらきら☆マイデザイン」もプレイしているので私は北条コスモがクラリスの親しいものであるという物語を経験しているのであるが、「プリパラ」の2期で紫京院ひびきがコスモをバカと呼んだときに感じた怒りは、“私たち”の親しいものを侮辱されたという感覚に基づいていたと思う。そもそも媒体によって文章からのイメージあるいはマイキャラとしてのクラリスのビジュアルはまちまちであり、そこには一貫した他者としての像がおぼろげにしか無い。ダナ・ハラウェイがsignificant othernessという語を使うとき、そこではおそらく確固たる自己と他者より以前のものが想定されているーこの点で私は坂巻しとねによる「かけがえのない互い/違い」という訳に一定の理があると思うーので、近しさを感じることがある。一方で、ハラウェイのいう“愛”はそのようなotherkinsが共にある状況でトラブルをケアする過程そのものであり、”私たち“が経験していない、あるいはし得なかったものであり、この点においては、「華氏451度」の語り手であるモンターグと私の経験が一致している。

私と異なり、マイキャラと共に”愛“を実践してきた人々もいるだろうと思う。