2024年6月ログ

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書籍

七都にい(著)/しめ子(絵)「ふたごチャレンジ!」(1~7巻)

 2021~2024年、KADOKAWA。双子の「とりかえ」に始まる抑圧への挑戦チャレンジの物語。今年上半期で最も印象に残る読書だった。以下では特に印象に残った点と、個人的メモとして対応する巻頁を注釈に記す。
 のっけから非「規範的」なかえでとあかねに両親が"誕生日に"最悪のプレゼントを行う*1のは、社会的抑圧が"イニシエーション"として受容されてしまう状況を示唆している。*2また、かえでの苦悩がgender identityをめぐるものでもある点*3を踏まえると、かえでが過去の傷を抱え続け、testifyさせられることやカミングアウトについてあかね以上に恐怖を抱いていること*4は私たちが生きる社会の状況とはっきり繋がっている。
 同時に、かえでと藤司の、そして辻堂先生と西峰さんのクィアな関係ははっきり当たり前にそこにあるのものとして描かれる*5。かえでとあかねが家庭の外部のケア・ネットワークに居場所を見出している*6のも見逃せず、辰紅の贖罪をめぐる挿話*7や太陽の不調とケアをめぐる対話*8も友情・ケア関係を維持し続けることの重みと有責性の文脈で読んで取れる。*9
 総じて本作は描写においても面白さにおいてもしっかりとしたシリーズになっていると思う。Kindle Unlimited等でも読めるので薦めておきたい。

尾田栄一郎ONE PIECE」(23巻)

 2002年、集英社。クロコダイルがぶっ飛ばされたり左腕にバツ印描いたりする巻。YouTubeでアニメのアラバスタ編やってたので読んでみた。ワンピはエッグヘッド編に入ってからは展開が速いので本誌を追っているが、それ以前についてははこうして世間で言及されがちな巻をかいつまんで読んでおり、真面目な読者とは言い難い。
 本巻はとにかく我が身を挺して爆発から民衆を守るペルがかっこいい*10。「討ち滅ぼすものなり」の元ネタがワンピだったのを初めて知った。本巻だけだと殉職したようにしか思えないがエッグヘッド編でもしっかり生きてるのでそんなこともないのだろう。ヴィランとしてのクロコダイルの魅力も光る(彼の大立ち回りはもう少し前の巻がメインだが……)。あと全身ボロボロになって奮戦するビビ王女が好きです。

劉慈欣(著)/大森望・古市雅子(訳)「老神介護」

 2022年、KADOKAWA(発表は1999~2005年)。読書会の課題だったので読んだ。実は初劉慈欣である。個人的には「白亜紀往時」が特に良かった。人類によるものではないパラレルな文明という主題自体はオーソドックスだが、それが蟻と恐竜の共生によるという奇想が光る。
 ただ、面白くはあるがイーガンの短編集を読んだときほど傑出している感は得られなかったので、世評と合わせても長編向きの作家なのかなという感はある。「三体」未読だからまだ分かんないんだけど……。

天川栄人「あるいは誰かのユーウツ」

 2024年、講談社ジェンダーセクシュアリティ、身体性をめぐって苦悩し考える中学生たちを描いた連作短編集。
 日本語による児童文学においてクィア当事者を描く作品は着実に数を増やしており、生理/性と医療についても現代的な描き方が試みられている。本短編集の「赤い繭」も横川寿美子「初潮という切り札」(1991)を念頭に置かせるような描写*11を踏まえつつ、医療へのアクセス、生理のあるトランスジェンダー当事者についての言及、ケア者・助力者としての男性像*12を描いている。一方で本作はそこに加えて他の分野においてもあまり表現されてこなかった主題ーBLファンのaegosexual的経験(「三段ホックとナベシャツ」)、aromantic(「誰のことも好きじゃない」)、男性への性加害と性的同意(「NO MEANS NO」)などーも扱っており、今後の児童文学のありようを示唆するものにもなっている。
 ところで、クラスメイトの視点を切り替えるようにして連作短編の形にまとめている形式については森絵都「クラスメイツ」(2014)を思い出した。神戸遥真「笹森くんのスカート」(2022)など、結構採用されてるフレームなのだろうか。

ゲーム

「午前五時にピアノを弾く」

store.steampowered.com2023年、Kazuhide Oka(Dev./Pub.)。絵本のようなゲームであり、記憶をめぐる幻想譚であり、イラスト、テクスト、音楽が合わさって早朝の浮つくような高揚と非現実感を味わわせてくれる。個人的にはいせひでこ作品を思い出した。事象を書き込むよりも印象を淡くも鮮烈に描く筆致と、木と楽器、そして継承の主題に通底するものがあると思う。EDの回収もすぐに終わる小品だが、かなりの満足感があった。休日の朝触れるのにうってつけの一作。

映画

劇場総集編「ぼっち・ざ・ろっく! Re:」

 2024年、斎藤圭一郎監督。総集編の全編だが、アニメ本編はほとんど未見なので新鮮な心持ちで楽しめた。初っ端の虹夏に誘われてぶっつけで演奏するとことか、喜多ちゃん加入のとことか、虹夏と店長の喧嘩のとことか、とにかく後藤さんはぼっち名乗ってる割にやたら胆力がありかっこよい。guitarheroというのは伊達でない。
 また伊地知姉妹それぞれの周囲の生き様を見ていると、下北沢が象徴し、そして体現してきたモラトリアムなるものについても少なからず感じるところがある*13。東京という都市においては普遍的とされるものを描きつつも明らかに土地の固有性があるような表現が可能であり、どうにもこうにもずるいなあと思う。

マルチメディアコンテンツ

バトルスピリッツ

推しがめっちゃシクレ貰えるので……嬉しい!

chitocerium

 chitocerium展に行ってきた。

黒い椅子に黒い装備の紫髪の少女が座り、その右隣に白い装備の金髪の少女が屈んでいる(どちらもプラモデル)。背景には二人を描いたイラストが掲げられている。美少女プラモは創彩少女庭園以外触ってないので本シリーズについては何も知らなかったし、そもそも美プラ熱が今あまり無いという立場で言うのもなんだが、なかなかいい展覧会だった。とにかくロマン溢れる六角形のケースがクール。私はフィクションにおける六角形の武装が好きなのである。コトブキヤフレームアームズ・ガールやアルカナディアと比して、イラストを世界観の一部として前面に出している傾向が強いのも一つの魅力と言える。全体的に、本シリーズはなんか洒落てるのである。
 個人的にも触ってみたいけど創彩より複雑なキット見ると頭パンクするんだよなぁ……。

めめ村

youtu.be…………???

遊戯王

左目を赤く光らせボロボロの白い制服を着た長白髪の少女レイが、同じくボロボロで気を失っている黒い制服を着た灰色短髪の少女ロゼを抱き抱えて気高い表情をして立っているイラスト。解説には「壁紙/閃刀起動-リンケージ/「閃刀姫-ジーク」の中から、「閃刀姫-ロゼ」を救出した「閃刀姫-レイ」。彼女の心の奥に隠された慟哭を感じ取り、二振りの閃刀の力で覚醒を始める。」とある。
イラストむっっっちゃ好き。MDに来て即壁紙にしました。「OCGストーリーズ」の閃刀姫編も大好きでした。いっぱい地に塗れるシーンが好きです。

*1:1巻P18~26

*2:エス関係がモラトリアムと結び付け縛られてきたことはこの鏡写しだろう。

*3:1巻P170~174/7巻P78~83。ただ本作では、いくつかの問題が指摘されている「心の性別」「体の性別」という表現を使っている。下記事にあるように発達段階に合わせて説明の仕方を変えることが望ましいとされていることを踏まえると、10歳未満の読者も想定した本作に合わせた表現として使われているのだろうか。

yutorispace.hatenablog.com

*4:2巻P114~116/5巻P79~82/6巻P113~122/7巻P64~66

*5:4巻P150~157/5巻P113~116/7巻P86~90

*6:5巻P89~97

*7:4巻P174~188

*8:6巻P17~20

*9:これはまた教師が学校という縦社会のシステムの中でケア関係を構築できない/しようとすれば強い抑圧を被るという全般にわたる描写と対照的である。似たようなことを昨年、少年アヤ「うまのこと」を読んだ時にも思った。

*10:別に黒幕ではない。

*11:「私たちの繭。ひそやかな繭。私たちを守るための繭なんだって、そう思ってた。でも、守るって、いったい何から?私たちは本当に守られてきたんだろうか?」同作より、終盤の主人公の独白。

*12:参考。

gendai.media昨年出た「YA!ジェンダーフリーアンソロジー TRUE COLORS」所載の水野瑠見「羽つきスキップ」などにもこの流れは見られる。また、上記事で言及されている”助力者になれることは一方でミドルクラスの男性としての階級的特権性を持つこととの繋がりを無視できない”という指摘は、本作における助力者が開業医の息子であることを意識させる。

*13:下北沢という街は創造のベースとしてのだらしのない悩み=モラトリアムの受け皿になっているという旨を隈研吾が「新・ムラ論TOKYO」に書いていたのを少し思い出した。「下北沢は、気の進まない結婚なんかしないで、恵まれたモラトリアムを楽しんできた老いたお嬢さまなんですよ」同書1章より。